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トルコの歴史と文化に出会うシリーズ①~トルコ9日間【ブルサ・ペルガモン・エフェソス編】~

  • 2020年9月27日
  • 2021年1月13日
  • 旅行
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 「何も知らなかった国」から「もっと知りたい!国」へ

今回は、2018年3月に訪れたトルコとの出会いについて紹介していきます。

トルコはアジアとヨーロッパにまたがる国で、日本の約2倍の面積を持ちます!

そんなトルコを、今回は以下のルートで回ってきました!!

イスタンブールから各都市の遺跡や景勝地を巡り、イスタンブールに戻るというツアーです。

イスラムの文化が根付くトルコで、遺跡やモスクを回りながら、トルコの大自然も体感してきました。

イスタンブールだけでなく、たくさんの都市を訪れ、トルコの文化にしっかりと浸ってこれました♪

だからこそ、初めは何も知らなかったトルコに浸っていく中で、「この国のこと、文化のこと、そして、こんなにも広い世界をもっと知りたい!」

最後にはそんな風に思えるくらいにこの国に惹かれることになりました!

なぜ、そんな風に思えるようになったのか?

今回は主に遺跡やモスクとの出会いに焦点を当てながら、その問の回答に迫っていこうと思います!

歴史を知ればもっと面白い!トルコの歴史と遺跡を紹介!

トルコの歴史といえば、オスマントルコという言葉を聞いたことがある人も多いかとおもいます。

オスマントルコ帝国時代は約14世紀からで、その前はセルジューク朝やビザンツ帝国などとして栄えてきました。

そう、トルコの大都市イスタンブールは、あの東ローマ帝国の首都があった場所なのです!

なので、トルコには古代ギリシャの遺跡からオスマン帝国時代の建築まで、歴史的観光スポットが非常に多くあります。

また、トルコの歴史や文化と切っても切れない関係にあるのが、イスラム教です。

人口のほとんどがムスリムであるトルコには、イスラム文化が色濃く根付いています。このようなイスラムの文化との出会いもまた新鮮でした!

オスマン帝国始まりの地「ブルサ」

イスタンブールを出て最初に到着したのはブルサという街。ここは、オスマン帝国の始まりの地として世界遺産にも登録されている街で、オスマン帝国最初の首都が置かれた街です。

14世紀初頭にはたくさんのモスクや神学校が置かれ、繁栄を誇りました。あの大帝国(最盛期は西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカの三大陸に及ぶ領土を持ちました)の始まりの地に訪れたかと思うと、歴史を感じずにはいられません。

ブルサには2つの有名なモスク(ウル・ジャーミィとイェシル・ジャーミィ)がありますが、このイェシル・ジャーミィは特に美しいモスクでした♪

そもそもモスクとは?
モスクとは、ムスリムが神(アッラー)を崇拝する建物のことで、モスクはイスラムの歴史を通して、コミュニティ形成や市街地形成の中心で有り続けました。
モスクには、イスラム教創始者ムハンマドの生誕地メッカの方角を示す壁のくぼみミフラープが備えられていて、ムスリムは、この方角に向かって祈りを捧げます。通常このミフラープの右に、説教台ミンバルが設けられています。そのほかにも、モスクの周りに建つ塔はミナレットと呼ばれ、もともとは礼拝の呼びかけのために造られました
リン
キリスト教の教会ならまだ馴染みがあるけど、モスクのことは全然知らなかった!
緑のモスク「イェシル・ジャーミィ」

山の麓にあるブルサは緑のブルサと呼ばれることもあります。

そんな緑の街にある、緑のモスクがイェシルジャーミィです。

ブルーとグリーンのタイルが織りなすモスク内は、まさに緑のモスク

エメラルドグリーンのタイルが織りなす美しさに、思わず息をのみました。

イェシル・ジャーミィはオスマン帝国第5代メフメト1世によって造られたもので、オスマン朝初期のモスクでは傑作と評されるほどです。

また、イェシル・ジャーミィのすぐ側にあるイェシル・テュルベにはメフメト1世とその家族が眠り、美術品のようなブルーの棺もぜひ見て帰って下さい!

天井のデザインも圧巻!
昔の生活に思いを馳せて「ジュマルクズック」

ブルサからそう遠くない(約13km)場所にある世界遺産ジュマルクズック!ブルサに訪れた際には散策されていくことをオススメします!

古都ブルサの近くにあり、昔ながらの生活を守る古民家の街!石畳の坂に並ぶ古民家は、まさにフォトジェニック!

初期オスマン建築様式の家々を眺めながら、入り組んだ路地に迷い込んだり、露店を楽しんだりと、オスマン帝国時代の生活にタイムスリップしたような気分でした。

ウル山の麓にあり、自然も豊かで、「またゆっくり行きたいな~」と思える街でした♪

朝の雰囲気がとっても和やかで好きでした♪

紀元前の王国の遺跡「ペルガモン遺跡」

続いては、紀元前281年に建国されたペルガモン王国の壮大な遺跡が残るベルガモン遺跡に訪れました。

この遺跡では、ヘレニズム(BC323-30)・ローマ・ビザンチン時代の歴史や文化を垣間見ることができます。

ペルガモン王国とは?
はじめはセレコウス朝シリアに属していたペルガモンは、紀元前262年に独立し、前241年にアッタロス朝が始まりました。前2世紀にはヘレニズム(アレクサンドロスの大帝国によって築かれたオリエント文化とギリシャ文化の融合による時代。BC323-BC30)文化を繁栄させ、ローマに服属(前133年)してからは、ローマ文化が花開き、文化の中心地として栄えました。遺跡自体は1860年代にドイツ人に発掘されました。
斜面沿いに建てられた「円形劇場」

ペルガモン遺跡のなかでも、特に目を引くのがこの円形劇場。

小高い丘の上につくられた遺跡からベルガマの街を一望できます

この劇場はヘレニズム時代のものというのだから驚きです(ローマ時代に改修された)。

こんなにも昔にこれだけ立派な劇場があったのかと、当時の王国の繁栄と文化レベルの高さにびっくりしました!

争いがある時代に生きる人々だからこそ、アートや神への信仰など、そういった心の休めどころが必要だったのかもしれませんね。。

繁栄の証「トラヤヌス神殿」

この丘の頂上には、皇帝トラヤヌスに捧げられた神殿が建っていました。

丘の頂上に立つトラヤヌス神殿

ローマ帝国時代、皇帝に神殿を捧げられるほど繁栄していたということですね!

実際、ローマ時代の五賢帝(ローマ帝国最盛期)の一人トラヤヌス(在位98-117年)はこの神殿が完成する前に亡くなってしまい、次の皇帝ハドリアヌスがその建設を続けさせたのだそうです。

ローマ帝国側としては、このように神殿を捧げさせることで、非ローマ民の忠誠心を高める狙いがあったのだとか。なるほど!面白いですね!

かつての神の偉大さをうかがう「ゼウスの祭壇」

円形劇場から少し下った平地には、ゼウスの祭壇跡が見えます。

これは、ペルガモン王国の黄金時代を築いたエウメネスニ世(在位BC159-197年)がガラティヤ人との戦いの勝利を感謝して捧げた祭壇だそうです。

今私達が神様に感謝する時を思い浮かべると、国や歴史、文化が違えば神様に対しての考え方も当然変わっていますね。

残るのは基礎部分と大きな松の木のみ

コの字の祭壇には、オリンポスの神々とティターン神族との激戦を描いた彫刻が施されていたりしていたそうです。

復元されたものが、ベルリンのペルガモン博物館にあるので、ベルリンを訪れた際は是非見てみて下さい!

歴史を知ってからこの遺跡を見てみると、本当に当時の生活や諸外国との関係など、どんどん想像が膨らみます♪

 

保存状態の良さに驚く「エフェソス遺跡」

続いて訪れたのが、世界遺産エフェソス遺跡。

古代都市が良好な保存状態を保って残っています。本当に保存状態が良く、ここが紀元前から栄えた大都市であったことが本当によく伝わってきました!

エフェソスとは?
正確な起源はわかっていませんが、紀元前12世紀のギリシア人のアナトリア(現在トルコ南西あたり)への移住にまで遡ります。
湾口に造られた街は移民を取り込み大きく成長していきました。その後ペルシャ帝国、マケドニア帝国の支配下で隆盛し、地中海沿岸地域の中でも重要な商業港となっていきます。その後ペルガモン王国、紀元前1世紀にはローマ帝国の支配下となり、最後の五賢帝マルクス・アントニウスもこの地を訪れたそうです。
1世紀頃からは、キリスト教の布教も行われ、聖パウロやヨハネ、さらにはマリアまでこの地を訪れました。
そんなエフェソスも3世紀にはゴート人(ゲルマン人)に侵略され、衰退の一途をたどっていきます。ちなみに世界七不思議の一つアルテミス神殿はこの時に破壊されました。
また、それまでの繁栄をもたらした港は川の土砂によって三角州になり、海はどんどん後退していきました。4世紀ローマ帝国分裂後、東ローマ帝国の経済と宗教の中心地となるも、イスラム教の度重なる侵略を受け、世界最大級の古代都市は終焉を迎えました。
世界三大図書館「セルシウス図書館」

そんなエフェソスの繁栄を表す遺跡の一つがここ!

エフェソスの知事を務めたセルシウスの息子が父の墓の上に建てたのがこの図書館。

10,000冊以上の本が収納されていたそうです!

2世紀にこんなにも壮大な図書館があったのだから驚きです!

この図書館も3世紀のゴート人侵略の際に内部は焼き払われてしまったそうです。

近くで見るとさらに大きい!

当時の文化がどれだけ栄えていたのか、想像が膨らみます♪

自然と一体「円形劇場」

こちらも、エフェソス遺跡のなかで最も印象的だった場所の一つです。

この円形劇場では、芝居が行われたり、全市民参加の議会などが行われていたようです。

ヘレニズム時代やローマ帝国時代などを経て舞台や客席の改築も行われていました。

本当に、当時の文化レベルが高かったことがわかります。

今と昔とで違う点はたくさんありますが、今も劇場に多くの人が足を運ぶように、時代をまたいでも普遍的な文化があったということに驚きと嬉しさのようなものを感じました♪

背景の大自然も合わせて大迫力!

こんな屋外の劇場が現代にあっても良いかもしれませんね!

文化レベルの高さがわかる「音楽堂」

アゴラ(古代都市国家にある公共広場)の側にある音楽堂は先ほどの円形劇場よりはかなり規模が小さく見えますが、これでも1000人以上は収容していたそう。

また、半円の舞台に雨天時の溝がないことから、屋根に覆われていた可能性が高いと言われています。

こんなに近くで聞ける演奏会はぜひ参加してみたかったな、なんて思います。

こういった感じで、広場(アゴラ)の周りに音楽堂があったりして、今のヨーロッパの街並みも「広場」ってすごい大事な役割を果たしてますよね!

歴史が少しずつ重ねられて今の街や国が成り立ってるんだな~って感じます。

まるで都市の目抜き通り「クレティア通り」

クレティアはエフェソスで聖職者のことを表していたそうです。

そんなクレティアの名がついたクレティア通り。ゆるやかな坂道を上から眺めると、坂の下には海が広がり、かつて商業港として栄えた街並みが見えるような気がします。

坂の先にはセルシウス図書館があります

ここは、都市の中心を走っていた道で、その左右には多くの家々や記念碑を見ることができます!

トラヤヌスの泉
ハドリアヌスの神殿

皇帝トラヤヌスに捧げられたトラヤヌスの泉や、皇帝ハドリアヌスに捧げられた神殿なども見ることができます。

ペルガモン遺跡の際にも触れたように、皇帝の神殿を所有することは非常に名誉であり、当時のエフェソスの繁栄をつたえています。

家々の床の造りもきれいでした!ハート発見♪

家々の跡から、当時の生活水準や建築技術を見るのもとても楽しかったです!

公衆トイレ

そのほか浴場や、ドミティアヌスの神殿など、見所たっぷりでした!

このほか、遺跡はまだまだ広く、保存状態が良い遺跡は見ていてとても楽しかったです♪

世界への好奇心を駆り立ててくれた国

さて、今回はトルコの歴史や遺跡、宗教などについて紹介してきましたが、いかがでしたか。

初めは何も知らなかった国でしたが、実際に足を運んで歴史や宗教、文化を知って、今まで自分がどれだけ小さな地域で生きていたのかを痛感しました。

自分の目の前に広がる可能性と広い世界を見たとき。今までの当たり前が全く当たり前出なかったと気づいた時。

初めて食べるものを口にしたとき。初めてみる建物を見たとき。全く違う文化を持つ国の歴史を知ったとき。

新しい世界を知ることがこんなにも面白いのかと気づきました!

そして気づけば、知れば知るほど自分の知らないことで溢れている世界を「もっと知りたい!」と思うようになっていました。

まるで、勉強を始めたばかりの子どもの時の気分みたいです♪

そんな忘れていた好奇心をかき立ててくれた国でした♪

 

 

 

 

 

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