アーモンド 「ソン・ウォンピョン著」
この本の主人公であるソン・ユンジュは生まれつき扁桃体が小さく、感情を理解することができない。つまり喜怒哀楽がわからない、
それだけでなく恐怖という感情も理解できないために何度も命を危険に晒してしまう。
目の前で子供がリンチされ、死んでしまっても何も思わない。
お母さんとおばあちゃんが目の前で通り魔にハンマーで何度も殴られナイフで何度も刺される光景を目にしても表情を変えない。
もちろん感情が理解できないため、人に共感する事もできない。
そんなユンジュを人は怪物と呼ぶ。
そして物語に出てくるもう一人の怪物、ゴニ
彼は生まれてすぐに親と離れ離れになる。様々な家や施設を転々としながらも一度も愛を与えられた事がない。そして全てを憎んでいる。
そんな彼を誰も理解も共感もしようとしない。
凶暴で暴力的な側面だけを見て人はゴニを怪物と恐れる。
そんな二人が高校生のある日、ゴニが転校してくる形で出会い物語が始まります。
あまり詳しい内容は言いたくありません。
それがこの本の願いだから、
その結末が悲劇なのか喜劇なのかをここで語るつもりはない。
ソン・ウォンピョン作 アーモンド P10
この本の面白いところは感情が湧いてこず、理解もできないが故に人から怪物と呼ばれるユンジェと物語を共有する事が目的であり、読み進めなければ物語が、そして結論が分からないようにできています。
普通の本であれば大体目次を見ればどのような物語かわかるけれど、この本はそんな親切な事はしません。
この本の目次は
- プロローグ
- 第一部
- 第二部
- 第三部
- 第四部
- エピローグ
と物語の内容が把握できないようなになっています。
実際に文章を読み進めて、自分も登場人物の一人として、最後まで目を通したからこそ価値がある本だと感じました。
二人の怪物
感情が理解できない少年ユンジェ、凶暴で感情が常に爆発しているゴニ、
二人はなぜ人々から怪物やまがい物と思われてしまうのでしょうか。
共感が理解できない少年 ユンジェ
ユンジェは人とコミュニケーションをとる際に共感ができません、そして人の感情が理解できないため相手が傷ついてしまうようなことも平気で言ってしまいます。
人が当たり前にようにできる”配慮”が彼にはできないのです。ユンジェは多くの人が思い描く”普通に生きる”ことができません。
他の人にとってはユンジェは普通ではないのです、集団生活をするうえで必要なことが一切できないのです。
そんな彼を回りの人間は異物としてとらえてしまいます。自分たちとは違う人間、理解できないことをしてくる人間。
だから皆彼をまがい物、怪物として扱ってしまうのです。
そうなると周りの人間は彼に普通ではない対応をします。
理解しようとはせず、彼は普通ではないから、皆と同じことができないから
攻撃の対象としてしまうのです。
愛が理解できない少年 ゴニ
彼は凶暴で暴力的な少年です。ユンジェと出会う少し前まで少年院で過ごしていました。
彼は生まれてすぐ、小さいころにお母さんに連れられて行った遊園地で誘拐?をされてしまいます。
そこからゴニは誰からの愛も受けずに施設や里親を転々として育ちます。
彼がなぜ暴力的でここまで凶暴となってしまったのか、誰もそんなことは気にしません。
凶暴すぎる彼を皆腫れ物を扱うかのように接し、自分が標的にならないようになるべく関わらないように過ごします。
彼の苦しみなど皆にとっては関係のない話なのです。自分に災厄が降らなければそれでよいのです。
だから皆彼をまがい物、怪物として恐れることで距離をとっているのです。
誰一人彼を理解しようとするものはいません。再開を果たした父親からも。
共感と愛が理解できない二人から、共感と愛を学ぶ
皆さんの多くは感情というものが何なのかを知ってはいると思います。
私達は人とのコミュニケーションの中で自分の感情を伝え、相手の感情を汲み取り、共感をし合うことで友情や親愛、信頼や愛を築くことができます。感情とはとても素晴らしいものです。
しかし感情とは時には厄介なもので
人は理解や共感ができないモノに出会うと攻撃的になりがちです。また理解されない人は孤独を感じてしまいます。そして相手に嫉妬し、嫌悪し、憎悪してしまう事も感情があるが故です。
共感ってなんだ
共感や相手を理解することは、
自分の共感や理解ができる範囲の中で行われるものでは本来なく、
今は理解できなくても理解する為に自分は何が出来るだろうか、
今は共感できなくてももっと深く知る事ができたら
と相手を共感、理解しようと思う意識そのものが重要なんだとこの本は教えてくれました。
例えば、皆さんもSNSでユーザー同士が罵り合っていたり、誰かを対象に大勢で攻撃している光景を見た事があると思います。
現実でも一緒で、言い争いをしていたりいじめを見たり経験したりもあると思います。
攻撃的になる事は良くないですが、攻撃的になる人にもそれだけの理由があるかも知れません。
いじめで言えば表面上では確実に加害者が悪いです。しかし加害者は加害者なりに何かに苦しみ、SOSとして他人を傷つけるという行動が出てしまっているかも知れないのです。
まさしくそれが本にも出てくる2人目の怪物、ゴニなのです。
ゴニは誰からも愛されない、そして興味すら持たれない、誰も自分をわかろうとしてくれない、という苦しみを抱えている少年。
そんなゴニの表面上だけをみて多くの人は恐れ、怒り、どうしようもない男だと呆れ、そして寄り添う事をあきらめ疎外してしまいます。
盗難事件の犯人は、別の子だったことがわかった。
~中略~
それでも、ゴニを疑って悪かったと思う子はいなかった。今回は濡れ衣だったかもしれないけれど、ユン・イスならいずれは同じようなことをしでかしてただろうと、カカオトークのグループトークが飛び交っているのが肩越しに見えた。
ソン・ウォンピョン作 アーモンド P220
しかしユンジェは皆と少し違いました。
ユンジェがゴニに対してどのように関わり、感情を理解できない彼がゴニの苦しみに寄り添うことができるのか、
それは本を読んで確かめてみてほしいです。
愛ってなんだ
作者であるソンさんが本の最後のインタビューでこう語っています。
「愛とは”種”に注がれる水と日差しのようなもの。人にもう一度注がれる視線とか、決めつける前になぜそうなったのかを質問してみること、それが愛なのではないか」と。
ソン・ウォンピョン作 アーモンド P266
つまり愛とは、
相手のことを知りたいが故に問いかける質問や、相手の感情を理解したいと思う感情そのもの
であり、ほんの少しの働きかけや意識で十分伝わるものだったんですね。
先ほどの話に戻ります。各々が表面上ではないところで理解しようとしなければ、いじめや争いはなくなりません。
逆に言えば表面上だけでなく、ほんの少しの働きかけや意識ができればきっと世界はもっと愛に溢れるはずです。
愛を感じることができずに苦しむ人を少しの気遣いで減らすことができるのです。
このアーモンドを読み、本気で思いました。
そんな考えと出会う事ができたアーモンド、ぜひ一度皆さんも読んで、共感をしてほしいです。