最終回!バルカン半島縦断シリーズ第6弾:セルビア編
2019年夏、コッスーはバルカン半島にバックパッカーへ出かけました。
もともとは、人があまり行ったことのないところに行こうという理由で選ばれたバルカン半島でした。
しかし、実際に訪れてみるとかつてヨーロッパの火薬庫と呼ばれたその地の激動の歴史と、そこに生きる人達との出会いがありました!
本当の平和とは何か、深く深く考えさせられた旅でした。
移動は基本バス、宿泊はユースホステルもしくはドミトリーに泊まりました。
今回はバルカン半島縦断シリーズの最終回!第6弾として、セルビア(ベオグラード)をお届けします!
ユーゴスラビア連邦時代の首都であったセルビアのベオグラードは、空爆の痕がそのまま残り、激動の歴史を肌で感じ、その中に生きる人のあたたかさに出会えた場所でした。
ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボからセルビアのベオグラードまで夜行バスで来ました!
紛争の傷痕がそのまま残る街:ベオグラード
コソボとのピリついた関係を垣間見る
実はこの夜行バスの道中で事件がありました。コソボから来た方がバスに乗っていて、国境での関門を通る際に問題になってしまったのです。
結局その方はそこで降ろされてしまいました。小さな娘さんを抱えたお母さんでした…。
このように、コソボ人だから、という理由だけでセルビアに入ることも許されない場合が、未だにあるそうです。
こんなことがありながらなので、少しビビりながらセルビアのベオグラードに到着しました。
首都であるベオグラードは、ユーゴスラビア誕生以来2006年にセルビア・モンテネグロが解体されるまで一貫して連邦の首都でした。住民は、ハンガリー系やスロバキア系が多いです。
NATOによる空爆の痕と出会う
そんな歓迎ムードを感じながら街を歩き始めて、すぐ目に飛び込んできた物は、とても年数による劣化とは思えないダメージを受けたビルでした。


ベオグラード市内の、政府系のビルが多く建ち並ぶこのクネズ・ミハイロ通りは、別名空爆通りと呼ばれているそうです。
セルビアの暖かい人柄に触れる
自分の中では、コソボでのことや冒頭に前述した夜行バスでの出来事もあり、実はあまり良いイメージを持っていなかったセルビア。
でも実際に町に来てみて、現地の人達と出会って、そのイメージは完全に払拭されました!
特に印象に残っているのが、とあるカフェのオーナーさんに出会った時のことです。
とっても気さくな方で、どこの国からきたのか、これまでの旅はどうだったのか、など色々を聞いてくださいました。
彼の中では、コソボの人たちに対してもウェルカムな気持ちが強いそうで、友人もコソボにいるそうです。そんな彼は、もっと多くの人にセルビアに観光に来てもらいたいし、自分もいろいろな国に旅行に行くことが夢だと語っていました。

他の国に対してもとてもオープンな方で、自分の中のイメージだけで国全体の国民性を判断してはいけないんだなと、感じました。
一人一人が違った様々な想いを持っています。でもすべての人が共通して願っていることは、もうこれ以上の戦争も紛争もなく安心安全に暮らすことなんだと、そう強く思いました。
紛争の痕と共に、平和を願うあたたかい心に出会える場所
ここまでで、ベオグラード(セルビア)編はおしまいで、コッスーのバルカン半島縦断の旅も終了です。
ユーゴスラビア時代や、コソボ紛争などの歴史のことを知ると、セルビアに対してあまりよくないイメージを持つ人もいるかと思います。
しかし、実際に訪れてみて、現地の人に出会って話してみると、今まで持っていたイメージとは全く違った人たちに出会えるのです。
例えどんな歴史があろうと、どんな文化があろうと、みんな同じ人間です。お腹が空けばご飯を食べるし、トイレにも行くし、夜は眠いし、楽しいことがあれば笑うし、悲しいことがあれば泣いてしまうし、嫌なことがあれば怒ります。そして、誰かを想い、愛することができます。
私はこの旅で、紛争の跡地を巡ることができた以上に、『友達』に会いに行くことができました。
今生きている喜びと、幸せを感じることができました。
帰って、家族や友達を抱きしめたいと思いました(^^)
このブログを読んで、一人でも多くの人が、少しでもいいので、世界に飛び出して自分の目で『友達』に会いに行ってみたい、と思ってくれると嬉しいと思います。
ありがとう、セルビア!
そして、ありがとう、バルカン半島!!
人の暖かさに触れ、バルカン半島が大好きになった旅でした。
読んでくださって、ありがとうございました(^^)
まだ他のバルカン半島の記事を読んでいない方は下から是非!