バルカン半島縦断シリーズ第5弾:サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)編
2019年夏、コッスーはバルカン半島にバックパッカーへ出かけました。
もともとは、人があまり行ったことのないところに行こうという理由で選ばれたバルカン半島でした。
しかし、実際に訪れてみるとかつてヨーロッパの火薬庫と呼ばれたその地の激動の歴史と、そこに生きる人達との出会いがありました!
本当の平和とは何か、深く深く考えさせられた旅でした。
移動は基本バス、宿泊はユースホステルもしくはドミトリーに泊まりました。
今回はバルカン半島縦断シリーズ第5弾として、サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)をお届けします!
第一次世界大戦の始まりの地、サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に訪れました。そこには、世界中の文化が共存するコスモポリタンな雰囲気と、戦争がない世界を切に願う人達との出会いがありました。
モンテネグロのコトルからボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボまで夜行バスで来ました!
コスモポリタンな雰囲気漂う街:サラエボ
様々な宗教や文化が混在する街と出会う
夜行バスで朝方に到着し、まず目に飛び込んできたのは、イスラムの雰囲気溢れる街でした。

街にはたくさんのトルコ料理店が立ち並んでいます!
また、まだ朝の8時頃でしたが、早くも街に活気が溢れていたのも印象的でした。
イスラム教とという人にお話を伺いましたが、彼女はヒジャブも被っておらず上着はタンクトップとかなりルーズな格好。ボスニアのムスリムは規律が緩くて服装も自由、さらにはお酒もタバコもたしなむと人もいるとのことでした!
同じムスリムの人でも、様々な信仰の仕方があっていいんだなあ、と思いました。
そんなことを話していると、とっても明るいトルコ人の店員さんに誘われ、僕たちも朝ごはんを食べることにしました!
↓のKünefeという物を食べました!

かなりボリューミーで、この写真の1つを食べ切るのに一苦労しましたが、チャイとの相性が抜群でした!
店員さんは、とても優しい方でチャイのお代わりをサービスしてくれました。
早速サラエボの暖かい歓迎を受けながら散策を開始しました。サラエボの街並みは、コッスーお気に入りのとっても素敵な世界観でした。

店の看板になっている大きな銅製の水差しや、大小様々な金銀細工、指輪やアクセサリー、民族衣装など多種多様な店が所狭しと並び、それらを眺め歩いているだけでも楽しい所です。
ここまではとてもイスラムで、アジアな雰囲気でしたが、とても面白いものが出現しました。

これは、サラエボが多くの文化と宗教が共存している街である、と同時に、ここから先はヨーロッパの文化が生息している、ということも表しているものだそうです。
そして早速、カトリック大聖堂と出会いました。カトリック大聖堂は、ボスニア・ヘルツェゴビナで最大のカトリック教会の大聖堂で、正式にはイエスの聖心大聖堂と言い、1889年に完成しました。

この大聖堂はサラエボの象徴として用いられ、入り口上部の窓のデザインはサラエボの県旗と県章に、さらに上部にそびえる2本の塔はサラエボの市旗と市章に使用されているそうです。
この大聖堂を眺めて、さらに街を歩いていくと、先ほどまでのイスラムな街並みとのギャップに驚かされます。

先ほどのイスラム系の雰囲気の街並みとは違い、テラスでお洒落にカフェをする観光客もいたりなど、中央〜西ヨーロッパの雰囲気が強いです。
しかし、そんな中でも、イスラムの人がこちら側のエリアに来ていない訳ではなく、様々な人種の方が混ざり合った空間でした。
特に印象的だったのが、様々な国から来た方達が、言葉の壁も国境も文化も宗教も超えて、みんなで大きなチェスをしていたことでした!(^^)

こんな風に、世界中の文化や人が繋がれる、そんなサラエボにはとてものどかで、平和な時間が流れていました。
それぞれの利益なんか主張することなく、みんな一緒に仲良く暮らすことができたなら、世界はまた一歩平和へと歩いていけるのではないか、と思いました(^^)
サラエボ事件の現場
そんなハッピーな気持ちになりながら見えて来たものが、サラエボ事件が起こった実際の現場です。
一見何もないかのように見える場所には、多くの観光ツアーグループが通っていました。

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件は1914年6月28日に、ボスニア出身の民族主義者ガヴリロ・プリンツィプによって行われました。
結果としてこの事件が第一次世界大戦を引き起こすことになりました。その当時ガヴリロ・プリンツィプはまだ19歳、これからまだまだ長い人生だったのにも関わらず、自分の身を呈してでも任務を遂行しました。
私たちより年下の彼が、どんな気持ちで暗殺を行なったのか、計り知れません。
しかし、良い悪いは別として、とても勇気のある行動で、それだけ自分の国を愛していたんだな、と思いました。
紛争の傷痕と、永遠の炎
そんなサラエボには、もう1つ知っておくべき事実があります。
それが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争です。

この辺りは、元々1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピックのスタジアムなどがあったそうですが、今ではそのほとんどが墓地となっています。
平和を願うはずのオリンピックが行われた地に、何十万人もの人が埋まっているなんて…。
とても悲しい気持ちになりました。
さらにコッスーの心に刺さったのは、街のど真ん中にあった『永遠の炎』です。

この記念碑は、第2次世界大戦の後の1946年4月6日に、犠牲者を慰霊するために捧げられたそうです。同日は、ナチスドイツとファシストのクロアチア独立国家による4年間にわたる占領からのサラエボの解放の記念日とされています。
それはひっそりと、しかし、しっかりとそこで炎を燃やし続けていました。
近くにいたガイドの方に話を聞いてみると、この炎はその後の紛争やの間も1度も消えることはなかったそうです…!
なんと、この地で戦っていた様々な軍の兵士たちも、この炎を大切にし、消すことはなかったと言います。
これを聞いて、そこに住む市民はもちろん、戦っている兵士たちでさえ戦争をすることは辛く、戦いが終わることを切に願いながら戦っていたのだと思うと、涙が止まりませんでした。
やっぱり誰も戦争なんてしたくないんだな、と強く思いました。
激動の歴史を乗り越え、平和を切に願う場所
ここまでで、サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)編はおしまいです。
サラエボは、コスモポリタンな雰囲気の中に、激動の歴史と、平和を切に願う人達の想いが感じられる場所でした!
様々な文化や宗教が共生する素敵な空間の中で、紛争や戦争について、とても考えさせられました。
戦争や紛争では、誰が悪いのか、そんなことはわかりません。資本主義が悪い、独裁政権が悪い、いろんな要因があるとは思いますが、人は欲望に溺れてしまい、人を傷つけてしまうこともある。それもまた人間らしさなんだ、そう思いました。
もちろん、戦争や紛争はよくないことだと思います。しかし、『戦争反対!』それだけを言って何か解決するのでしょうか。
私たちにできることは、1人でも多くの世界中の人と仲良くなることかな、なんてコッスーは思います。
是非みなさんも、サラエボに行って世界中の友達とおっきなチェスをやってみてください(^^)
ありがとう、サラエボ!
そしてコッスーは旅を続けます。
次回は、バルカン半島縦断シリーズ第6弾として、セルビア(ベオグラード)をお届けします!
お楽しみに!(^^)